ココゾーストーリー②

そこからは毎日人とのやりとりが増えた。電話が来ては、直接治療費を渡したいという方もいた。世の中にこんなに親切な人が沢山いたことを知って私は勇気と元気をいただいた。見た事もない犬一頭のために人は動く。その良心に触れ、心から感謝の気持ちが溢れ出した。

 

しかし犬の状態はあまりよくなかった。皮膚がないので水分が抜け、すぐに手術が必要になっていた。ココゾーの足は二箇所骨折もしていた。手術でピンを通すことも提案されたがそれ以前に腕の状態が限界だったので骨折は自然治癒を目指す形となった。筋肉に挟みこまれた細かい砂を取り除く時は我慢強い犬でも叫び声をあげる。獣医さんにもココゾーにも、辛い時間だった。それでも彼の生命力は強く、耐え抜いてくれた。肉芽組織(皮下)ができるまで毎朝ガーゼの交換をしてくれた。痛い治療だが段々と組織が出来上がり、やっと皮膚移植の準備ができたのだ。

 

皮膚移植の手術は6時間以上に及ぶものだった。背中の大部分の皮膚を取り、足に巻きつけたのだから、背中部分は寄せて縫い合わせた分、息苦しくなったのだろうと思う。しばらくは皮膚が定着するために動きがとれないよう狭いケージに入れじっとさせていた。  皮膚は2/3は定着したが、残念ながらその他の部分はうまく定着できなかった。その部分は自然に出来てくる皮膚に期待した。


「もう一度走らせたい」


応援して下さった皆の願いが通じる時があった。お見舞いに行き、帰ろうとした瞬間、ココゾーが必死にゆっくりと立ち上がったのだ。少しずつヨロヨロと、


「僕はもう立てるよ、大丈夫だよ!」


と言っているような気がした。涙が出た。


次の問題は里親探しだった。通院はとても長くなるだろうし、声かけもできる限りしたがこの状態の犬を引き取る方はなかなか見つからなかった。私達家族は、この犬も大事だが、行方不明になっている我が家のドララ捜しもあり、週に2回は愛護センターに通う事もあって、非常に困っていた。すると私の親友がこの子には家族が必要だけど、今は見つからないのだから私が一時的に保護すると言ってくれた。とても頼りになる友で身近にいたため、毎日ココゾーに会えると嬉しかったのだが、その直後、沖縄からどうしても帰郷しなければならない事情等があり、已む無く断念。その後も色々あったが、現在は正式に妹夫婦の犬となっている。絶対に看取るまで責任をもって飼うと約束したため、ドララ捜しを続行しながらも、通院、ブログの更新も連携しながら皆で協力しあうことになり、ココゾーは家族の一員となった。

あれから94ヶ月経っている。本当にあっという間のような気がする。

ドララの捜査を通じて出逢った犬は数知れずいた。助けられない犬がほとんどだった。ドララ捜査、ココゾー保護、それ以上の保護は私には無理だった。現実はとても厳しい。一時の感情だけでは犬猫は保護するのも大変なことだ。それでもココゾーの時は諦めなくて良かったと思っている。だから自分に出来ることがあるかもしれないと思った時は是非困っている動物に手を差し伸べてほしいと思う。ただ覚悟なく安易に保護を続けていればいつかはパンクする。自分自身も崩れてしまう。これは今殺処分が溢れる日本の問題だと思う。

 

ココゾーが教えてくれた数々の「強さ」や、「生命力」「周りの方の惜しみない協力と支援」こういうものがなければ、何も生まれなかったのは事実である。ココゾーからも色々な大切な事を教わった。後々分かった事だが、この犬が色々な人を逆に元気づけたり、助けたりしていたことを知った。「必死に生きようとするその姿に救われた」という声も少なくなかった。本当に嬉しく思った。

     

M夫妻、及びココゾーの事を知った沖縄在日米軍の方々もフリーマーケットを開催して、その売上金を治療費にと、全額寄付して下さった。個人で寄付を続けて下さった方もいた。毎日深夜まで代理アップをしてくれた平澤さんにも、手作りの服や(皮膚移植しているので皮膚が弱く怪我をしやすいため服が必要)リードを送って下さった方・・・何度頭を下げても足りない位感謝している。

人の優しさは少し視野を広げればたくさん存在する。毎日寄せられる応援メッセージに私自身どれだけ救われたか分からない。ドララを失い、愛護センターに通い、保護できない犬たちに会い、私の精神状態は崩壊寸前だった。でもココゾーの生きる姿が私に勇気をくれた。入院は五十四日間に及んだ。ココゾーは「諦めない」ことを身をもって沢山の人に教えてくれた。決意なくして人も動物も救えないということが身に染みて分かった。


ココゾーは今も毎日元気に歩いています。私はココゾーも、ドララが繋げた命だと捉えている。